今はコロナウィルスが大流行で例外なく全世界が目に見えないウィルスと戦っています。
ヨーロッパの国境封鎖にとどまらず、世界のあちこちで行動に制限が取られており、日本も例にもれず本日小池知事が東京封鎖もあり得ると記者会見で発表しました。
封鎖っていってもどうやって?という疑問はさておき、こうもあちこちで人の動きを制限されるとやりたいことや予定していたことが中止または延期になってしまう人がたくさんいるだろうなと思うわけです。
オリンピックもしかりですが、そういった大きなイベントごとに人々の話題が集中しますが、個人レベルでもかなりの影響を受けている人たちがたくさんいます。
私ももろに影響を受けている一人で、今月は売上ダウン、利益もダウンでいつもの1/3くらいの収入に落ち込みそうです。多分来月以降はもっと悲惨なことになるかもしれません。
そんな中、きっと留学を予定していた人っていると思うんです。日本とは違って海外の学校の始まる時期は大体9月か10月なことが多いのでまだ先のことかもしれませんが今のこの状況だとビザの申請が通らなかったりいろんな問題が出てくる可能性が高いだろうなと思っています。
つい先日テレビで映像を学ぶためにアメリカ留学を予定していた男性の事を取り上げていました。やはりこの状況で延期せざるを得なくなっているようです。ですがその彼は
と堂々と話していました。この人はきっと大きく成長するんだろうなぁと思って見ていました。
留学延期
私も実は予定していた留学を延期したことがあります。
ニュージーランドには2度長期滞在の経験がありますがその2回目の時です。一度帰国したのちどうしてももう一度ニュージーランドへ行って今度は永住権を取得したいと思っていました。この時恥ずかしながら36歳です。何やってんねん落ち着けよって年齢です。
でもどうしても行きたかった。
この時私の父がパーキンソン症候群という病気でした。症候群なので症状はパーキンソン病に似ているけど違う。しょっちゅう転んでばかりいました。
その時私は父と二人暮らし。ニュージーランドに行きたい。でも父の事も気になる。じゃぁこの先私は父の為にやりたいことを諦める人生をとるのか。やりたいことを取ることは父を見捨てることになるのではないか。毎日毎日すごく悩んでいました。でも答えが見つかりません。親戚や父の事を知っている人からは今離れたらだめだよと言われます。
じゃぁ日本に残るしかないなぁと思っていた時に伯母が
と私に言ったのです。私がやりたいことをできるようになる時は私の父が亡くなったとき。日本に残ることを決断したとしたら毎日父の死を祈るような毎日になってしまうかもしれないと伯母に言われた一言ではっとなりました。
そんな日々を絶対に過ごしたくはありませんでした。
私も元気で父も元気で、お互いに元気でいて欲しいと願い合えるように私はニュージーランドに渡航することを決断します。
その間私は父が一人で暮らしていけるようにヘルパーさんの手配をしたりベッドを入れたり手すりをつけたり部屋の模様替えをしたりしました。
渡航の日が近づいてきたある日、父が大けがをしてしまいます。顔から転んでメガネが顔にささって血だらけでした。もう出発は辞めておこうと思い、フライトも滞在予定だったところも学校の手配も全部キャンセルしてしまいました。キャンセルしてしまったらスッキリしました。
しばらくは父と一緒に過ごしていました。一緒に父の故郷に行ってお墓参りをしたり、病院にも付き添ったり。この時伯母が「そろそろどこかの施設で世話になった方がいいんとちがうか」と私の父に切り出し父は介護付きのホームに入ることになりました。
ホームへの引っ越しの日、私はがらんとなった父の部屋で泣いていました。こんな思いまでしてなんで永住権なんか取ろうと思ったんやろう、と。
でも結局一緒にいたら私は父の事を良く思わなくなっていっていたと思います。
幸いホームで友人もできて楽しそうに暮らしている姿をみて、父が安全に元気で暮らしているなら私もやりたいことにチャレンジしてみようと再度ニュージーランドに渡航することにしました。
結局一年後に父の体調が良くなくなってしまい、1年で帰国することになってしまいました。もう1年いたら永住権は取れていたと思います。ですが全く後悔はしていません。中途半端だなぁとも思いません。やりたいことを思いきりできたので悔いなしです。
書くことを躊躇しましたが今のこの状況の中、どなたかの背中を押すことができたらいいなと思い書いてみることにしました。年齢とか、コロナウィルスとか関係ないです。
今はいつ終わるか分からない問題が起こっていますが必要な時が来たらしかるべき時に前に進むことができるようになると思います。せっかく生まれてきたのですから夢があるのであれば、やりたいことがあるのであれば可能な限り挑戦して欲しいなと思います。